これからは、「複業」&「複住」 -日本とシンガポールのデュアルライフ-
前々回、私が小学館を辞めてOLタレントになった理由で、パラレルキャリアを始めた経緯について書き、
前回、これからは、「副業」ではなく「複業」で、私の副業(複業)に対する考えを書きました。
これで、おおよそ私の自己紹介は終えたかなと思うのですが、もう1つ大きな紹介をし忘れています。
というのも、私は今、シンガポールに住んでいます。
そう、私は今、月の約3週間はシンガポールでPR(ブランディング、マーケティング)の仕事をし、月の約1週間は日本でタレント(テレビ収録やロケ撮影)の仕事をしています。
「職業は1人1つって、誰が決めたんだろう?」という疑問が、
「住む場所は1人1つって、誰が決めたんだろう?」に発展し、
仕事だけでなく、住む国までも複数に渡るようになりました(笑)。
つまり、「複業」をしながら、「複住」をしているというわけです。
この話をすると、「海外に住んでるの⁉︎ すごい決心だね!」などと言われたりするのですが、実は私自身は「複住」をそれほど大きな出来事と捉えていなかったりします。
その理由を交えながら、今日は「場所への依存性」に関する話を書いていきますね。
会社でしかできない仕事は少ない
少し話は変わりますが、私が複業を始めてから強く感じていること。
それは、「会社(オフィス)でしかできない仕事は、実は少ない」ということです。
私のようなPRや編集の仕事は、正直、PCさえあればどこでも進めることができます。
なんならオフィスに籠っていない方が、世の中の動きを肌で感じられて、新たな視点や発想が生まれ、仕事に良い影響が出ることも多いです。
もちろん、これは職種によって差があるとは思います。
お医者さんや学校の先生、サービス業などの職に就いている人は、たしかに難しいかもしれません。
ただ、そういった職の人も、実は仕事を細かく見てみると、その場所でなくてもできることが結構あると思うんです。
たとえば、私もタレントの収録やロケは、決められた場所にいかなければもちろん仕事になりません。
でも、台本を覚えたり、ロケのリサーチをしたり、日々のSNSを更新したり、体づくりや美容のケアをすることなどはどこでもできます。
そう考えると、仕事って、それほど場所に依存しないと思うんです。
だからですかね。
「仕事はどこでもできる」という考えが強くなっていったからこそ、住む場所がシンガポールになることもそれほど大きな出来事だとは感じませんでした。
突然いただいたお話だったので、驚きはありましたけどね。
でも、いざ住むことが決まったら、「活動拠点が1つ増えるだけ」という案外あっさりとした気持ちだったのを覚えています。
「今ここでしかできないこと」を探そう
「仕事はどこでもできる」という考えが定着すると、今度は逆に、
「今、ここでしかできない仕事ってなんだろう?」
という発想が生まれやすくなります。
そして、この発想は、結果的に仕事に大きな効率と生産性をもたらせてくれます。
また同時に、無駄なものも浮き彫りになってくるんですよね。
上司を安心させるためだけの日報。
ディスカッションのない報告だけの定例会議
目的もなく毎日同じ時間に同じ場所に行く通勤・・・などなど。
「これって、本当に今ここで必要ですか?」って思ってしまいます。
会議や通勤に関しては、face to faceのコミュニケーションのためという意見もあるでしょう。
でも、それも今や、ほとんどの場合がスカイプやテレビ電話でもまかなえると思いますし、そもそもface to faceの価値をお互いがしっかり意識していないと意味がありません。
会社って、「なんとなく」の決まりに、「なんとなく」従っていることが多いなぁと感じます。
この「なんとなく」に慣れてしまうと、「なんとなく」仕事をこなせている気になってしまうのでとても危険です。
「今ここでしかできない仕事」を探し続けることが、本質的な仕事を生み、その結果、「あなたにしかできない仕事」(自分の役割り・存在意義)を見つけることにも繋がると思うのです。
そして、これは仕事だけでなく人生にも言えることだと感じています。
「今ここでしかできないこと」をなるべく多く発見し、積み重ねていくことで人生は豊かになっていくと思うのです。
小さなことで言えば、そこでしか食べられないご当地の食べ物とか、そこでしか見られない景色とか、そこでしか体験できないイベントとか・・・ね。
母親譲りのミーハーな性格も大きく影響してはいますが(笑)、私は常に「今しかできないこと探し」「ここでしかできないこと探し」をしています。
その結果、今このような生き方になっているのでしょうね。
場や空間が持つ本当の価値とは
仕事はどこだってできる、だから、毎日会社に行かなくたっていいし、1つの場所に住んでいなくたっていい。
極端に言えば、そんな流れで私は今「複業」かつ「複住」という選択をしています(笑)。
仕事も人生も、場所への依存性はどんどん低くなっていると感じます。
そして、この流れはVR/AR/MRなどのテクノロジーの進化によって、より加速していくでしょう。
本当の意味で、場や空間というものの価値や役割りを考えさせられる時代になってきましたね。
「この瞬間に、この場所でしかできないこと」なんてほとんどない。
でも、「この瞬間に、この場所でしかできないこと」は何かしら存在する。
そんな意識を大切にしながら、生きていきたいなぁと思うわけです。
これからは、「副業」ではなく「複業」。
前回の記事「私が小学館を辞めてOLタレントになった理由」では、改めての自己紹介ということで、私が会社を辞めてパラレルキャリアを始めたきっかけをお話しました。
そこで、今日は「副業」について書こうと思います。
そもそも、私が小学館を辞めることになったのは、副業が禁止されていたことが一番の理由でした。
「仕事を1つに絞りたくない」という私の想いを形にするには、辞めるしかなかったのです。
ただ、これは別に小学館に限ったことではありません。
ベンチャー企業や一部のIT企業などを除き、日本のほとんどの企業は就業規則で副業を禁止(不動産などは別)しているのが一般的です。
ところが、時代は変わりつつあります。
働き方改革が叫ばれる昨今、特に2018年の今年は「副業解禁元年」とも言われ、新生銀行やユニ・チャームなどの大企業が副業を許可するなど、「副業」がたびたびニュースになっているのを目にします。
私が会社を辞めた4年半前はまだまだそんな兆しはなかったので、この変化は素直に嬉しい・・・。
ただ、同時に違和感も感じています。
というのも、私にとって「ふくぎょう」とは、「副業」ではなく、「複業」なんです。
「副」って、「二次的」「副次的」という意味合いが含まれますよね。
「副業」という字を見ると、「本業」があって、その補佐的・補完的な位置付けとして「副業」がある、という印象が強くなってしまいます。
でも、私の考える「仕事を1つに絞らない」というのは、そういうことじゃないんです。
私にとっての「ふくぎょう」とは、仕事が複数ある「複業」です。
私がパラレルキャリアと言っているのも、パラレルというのが「平行・並列」を表す言葉だから。
どちらかを副次的になんて、考えていないのです。
「副」と決めるのは、誰?
そもそも、「副」って、一体何を以って「副」なんでしょうか?
稼ぎの問題?
でも、そんなことを言ったら、たとえば株などで大きく儲けたら、それが本業ということになるんでしょうか?
誰も、人の仕事を「副」だなんて決められないと思います。
決めているのは、誰でもなく自分自身。
つまり、気持ちの問題ですよね。
私は、自分のタレントの仕事と編集やPRの仕事、どちらかを副次的な仕事だなんて思っていません。
よく、「どっちが本業なの?」とか聞かれることがあります。
キツい言い方になりますが、正直、そもそもその質問をすること自体、視野が狭く、ナンセンスだと感じます。
なぜ、本業を1つにしなきゃいけないんでしょう?
もちろん、企業目線では、副業解禁をすることで自社の仕事へのパワーが分散することを怖がる気持ちはわかります。
でも、本業あっての副業だとすると、副業の意義って、すごく狭くなりませんか?
単純に「ちょっとお小遣いが稼げる」「趣味の延長線」くらいの意味合いしか持てません。
政府の言う働き方改革って、そんな程度のものなんでしょうか?
そうなってしまうと、「副業解禁」なんて本末転倒だと私は感じます。
お小遣いを稼ぐのは別に良いと思いますが、副次的な気持ちでやっているなら、それを成功させたり、稼ぎに繋げることはそもそも難しいと思いますしね・・・。
私は本当の「ふくぎょう」の意義はお金ではなく、もっと別のところにあると考えています。
肩書きが複数あるのは当たり前
仕事になると、肩書きが複数ある人のことを急にスゴイと思いがちですが、そもそも、人はいくつのも肩書きを持ちながら生きています。
人生全体で見れば、誰もが
「娘/息子」である自分。
「友だち」である自分。
「恋人」である自分。
「親」である自分。
などなど、いろいろな人やコミュニティのなかで、異なる肩書き(立場)として関わりながら、生きています。
そのなかで、どれが「本業」(本物)なのか、なんて考えることはありますか?
すべて合わせて、「自分」ですよね。
だから、複数の肩書きを同時に持つことは人間、誰しも可能なんです。
これは場所が仕事に置き換わっても、同じことだと私は思います。
すべての仕事を合わせて、「私」がいるんですから。
異なる仕事を複数持つことは、一見、いろいろなことに手を出して中途半端に思えるかもしれません。
でも、私はタレントと編集やPRの仕事は繋がっていると思っています。
あらゆる場面で、一方で気づいたことを、もう一方で活かすことができて、相乗効果が生まれているのを実感しているからです。
そして、スティーブ・ジョブスの点と線の話ではないけれど、「自分を生きる」うえでは、どんな仕事同士でもこの相乗効果は生まれていくと思うのです。
本当の意味での「ふくぎょう」とは、単純に別の仕事を増やすことではありません。
もともとやっていた仕事(ないしは、自分の人生、自分自身)をさらに成長・充実させるためにあるものだと思います。
この考え方が広まらない限り、いくら副業解禁が叫ばれても、心からは喜べないのが正直なところ…
「副業」ではなく、「複業」という考え方が少しでも広まるよう、私自身もこの生き方の発信をもっと積極的に行っていかなければ、と思うのでした。
私が小学館を辞めてOLタレントになった理由
こんにちは。
昨年、11月の誕生日にオウンドメディアとしてこのTSUBOI ANNA.COMをオープンしてから約9ヶ月。
ほぼ、更新できずにいました(笑)。大反省。
30歳の誕生日まであと2ヶ月と少し。
せめて、このオウンドメディアが1歳を迎えるまでに、もう少しメディアらしく更新をしていきたく思います。
さて、改めて自己紹介から…と思いましたが、
遡ると長くなるのと、今更感もあるので、この生き方を始めた4年半前のブログ(当時、ダイヤモンドブログを利用。現在はアカウントなし)を引用しての自己紹介とさせていただきます。
以下、2014年1月29日に投稿したブログです。(一部、リライトしています)
OLタレントの坪井安奈です。
2014年1月から、会社で働きながらタレント活動をするという新しい試みに挑戦しています。
私が今、肩書きとしている「OLタレント」。
勝手な私の造語なのですが(造語というほどじゃないけど笑)、今日はここに行き着くまでの経緯を少しお話させていただけたらと思います 。
〜 “とりあえず3年”を破ったタブー女 〜
私は2013年12月、新卒で入社した小学館という出版社を退社しました。
辞めることを周囲の人に伝えたとき、「なんで!?」「もったいない」そんな言葉をたくさんもらいました。
私もそう思います笑
でも、私は辞めました。
「まず、3年頑張れ」というのは、よく新入社員に言われる言葉です。
会社に入って一人前になるのには3年ほどかかるとよく言われます。
でも、私は辞めました。
私が小学館にいたのは、わずか1年9ヶ月。
一般的に言われる3年という期間を、私は見事に破ってしまったのです。
〜うだうだしている時間は1秒もない〜
学生時代に、レポーターや番組MCなど表現者(表方)としての仕事を少し経験させてもらい、社会人になって小学館で編集者として作り手の仕事(裏方)を経験し・・・
欲張りな私が思ったのは、「どちらもやりたい!」ということ。
もちろん、小学館でもっと学びたかったこと、やりたかったこと、たくさんあります。
編集の仕事は毎日が本当に刺激的で、最後の最後まで迷いもたくさんありました。
ただ、私には時間がなかった。
「25才から芸能活動なんて遅い!」
そうなんです。
しかも、やっぱり女でいると、結婚のこと、出産のこと、25才になったらいろいろ考えちゃいます。
私にもいつか(そんな相手と出会えたら笑)家庭を持ちたいという思いもあります。
そう考えると、うだうだしている時間なんて、1秒もない!
“今”しかできないことを、なるべくたくさんやろう!
結果、退職という選択をし、グラニという会社に巡り会って、OLタレントになったというワケです。
〜どっちがメインなの?〜
「会社と芸能、どっちがメインなの?」
最近、よく聞かれる質問です笑
答えは、「両方!」
たしかに、一見、中途半端に見えてしまうかもしれません。
だけど、それが欲張りな私の本音。
それに、会社員として会社を世に広めていくこと(OL活動)、
坪井安奈を世に広めていくこと(芸能活動)、
この2つは、ブランディングという意味では私の中ではつながっています。
25才、女の一大決心。2014年を飛躍の年にできるよう頑張りますので、温かく見守って頂けると嬉しいです。
以上が、私が今の生き方を始めたきっかけです。
4年半前、このようなブログを書いたようですね。
ちなみに、今はもうOLタレントという肩書きは使用していません。
理由は、所属事務所の野田会長(元イエローキャブ社長。知っている人は知っているはず笑)に、「タレントが自分でタレントって言うな!」と言われたからです(笑)。
では、自己紹介はこのへんで。
今後は、noteにも一部同じ内容を投稿していきます。
そちらも併せて見ていただけると嬉しいです。
人生1度きり。29歳の転機。シンガポールへ移住しました。
人生何が起こるか、本当にわからない。
なんていうのは、インタビューなどでよく耳にするフレーズだけど、
今まさにこの言葉を心から口にできる状況です。
ここまで予想しなかった出来事は、人生で初めてかもしれない。
29歳、坪井安奈。
この度、シンガポールを拠点に活動をしていくことになりました。
無事にビザもおり、すでにシンガポールでの新しい生活を始めています。
先に言っておきますが、「結婚」ではありません(笑)。
たしかに年齢的にも、次に自分に訪れるであろう転機は、「結婚」かなと思っていました。
でも、それは具体的なプランがあったわけではなく、
「就職」や「転職」を経て、なんとなく「次は結婚なのかしら」と思っていた程度。
ところが、実際に29歳に訪れた転機は全く別ものでした。
シンガポールを拠点に、新しいお仕事にチャレンジさせていただくことになったのです。
なんと。
これは私の未来予想図には1ミリも描かれていなかった。
まさに、新しい地図です。
結婚はむしろ遠のきましたかね(笑)。
目の前に広げられた選択肢が真っ白すぎて怖い。
怖すぎる。
けど、面白そうすぎる。
今、まさにそんな感情です。
ただ、思い返せば、これまでの人生でも転機と言える出来事はたくさんありました。
志望の高校に落ち、女子校に通うことになったこと
志望の大学に落ち、一人上京することになったこと
就職浪人を経て、出版社に入社したこと
出版社を辞め、タレントに転身したこと
いずれも、予想していた出来事ではありませんでした。
でも、最終的に次に進む道を決めたのは、自分自身。
転機は「決断して初めて訪れる」のだと、今改めて感じます。
いや。
決断してなお、
「それをプラスに変えようと進み続けることで、後から転機だと知る」
のかもしれません。
よし。
いつか振り返った時に、今回の決断が最高の「転機」だったと思えるよう、
ただ、ただ、前を向いて歩き続けよう。
あまりに予測できない自分の未来に怖気づきそうにもなるけれど、
人生1度きりだからこそ、
いただいたチャンス(と同時に押し寄せるプレッシャー)から目をそらさず、
自分の運命に正々堂々と向き合って生きていこう。
タレントとしては、引き続きサンズエンタテインメントに所属しながら続けていきます。
そちらも温かく見守っていただけると嬉しいです。